経営危機を救ってくれたのは、防衛大の時から慕っていた先輩でした。松本宣春さんは防衛大卒業後、リクルートの営業職を経て起業しました。会社立ち上げ当初は思うように収益を上げられず、廃業を覚悟しました。その時に手を差し伸べてくれたのが防衛大時代の先輩。ピンチを切り抜け、創業25年を超える企業となっています。
【プロフィール】
松本宣春:防衛大卒業後、株式会社リクルートに入社。住宅情報誌の広告営業を担当した。リクルートに3年間勤務し、1999年に株式会社ディープを設立。不動産会社向けのホームページ制作・管理やプログラム開発などの事業を展開している。
古川勇気:2024年7月にBallista入社。8月からスタートした「Catapult」を担当。防衛大卒業後、入社試験時の適性検査を販売する企業で営業職などを経験。人材獲得や入社後のミスマッチに課題のある会社の内定率向上や離職率低下に貢献した。
同期や先輩と深まった絆 防衛大で過ごした充実の4年間
古川:数ある選択肢の中で、進路に防衛大を選んだ理由を教えてください。
松本:元々は国立大学への進学を希望していました。ただ、1学年2000人を超える生徒がいる一般的な大学よりも、防衛大に進んだ方が濃密な4年間を過ごせると考えました。父親が海上自衛官だったこともあり、防衛大については大まかに把握していました。
古川:防衛大で過ごした4年間で、どのような出来事や時間が印象に残っていますか?
松本:寮生活が印象深いですね。全寮制でルールも厳しかったので今までの生活が一変する大変さはありました。一方、人間関係は濃かったです。テレビやゲームといった娯楽がなかった分、消灯後に同期や先輩たちと自分たちの将来や社会の在り方を語り合いました。
「人を動かす立場に」 将来的な起業見据えて民間企業に就職
古川:松本さんは防衛大卒業後、民間企業に就職されています。なぜ、自衛隊ではなく民間企業を選んだのでしょうか?
松本:理由は、いくつかあります。まず、私は防衛大でアメフトをやっていて、膝の半月板を痛めてしまいました。そのまま自衛隊に入っても、厳しい訓練についていけない可能性があると考えました。それから、将来的に起業したい思いを持っていました。最初に起業を意識したのは小学5年生の頃です。父親から仕事の話を聞く中で、人を動かす立場で働く未来を漠然と描くようになりました。防衛大では卒論を書く時に経営書やビジネス誌を読んで知識を吸収する楽しさも感じていたので、民間企業に進んだ方が自分には合っていると判断しました。
古川:どのような就職活動を経て、入社を決めましたか?
松本:防衛大では4年生の12月上旬までアメフトのシーズンで、就職活動はできませんでした。現在のようにインターネットが普及している時代ではなかったため、防衛大卒業後に求人情報誌で仕事を探しました。その中で目に留まったのが、入社を決めたリクルートでした。広告の営業職を募集していて、「中小企業の社長に頼りにされる営業担当者になりませんか?」という内容のキャッチコピーが書かれていました。そして、「もし、あなたが独立する時には非常に役に立つはずです」という言葉に惹かれて入社試験を受けました。
入社後に磨いた営業職のスキル 防衛大出身の強みも
古川:未経験だった営業の仕事をどのように覚えていきましたか?
松本:担当したのは、住宅雑誌に掲載する広告の契約を企業から取ってくる営業職でした。リクルートは当時、営業職の新入社員を育てる仕組みにロールプレイングを取り入れていました。先輩がお客さま役を務めて、新入社員が先輩に対して模擬営業するわけです。実際のお客さまに対して営業する前に、先輩100人とロールプレイングします。最初は先輩からの質問に上手く答えられませんが、経験を重ねることで知識やスキルが身に付きました。
古川:防衛大出身だったことの強みや弱点を感じる部分はありましたか?
松本:お客さまに自己紹介する際、防衛大出身と伝えると信頼されますね。理由を深堀りしたことはありませんが、真面目で誠実なイメージを持たれるのかもしれません。苦労したのは表情です。アルバイト経験もなく営業職に就いたので、先輩からは「少し声が冷たい」、「表情が硬い」といった指摘を受けました。
「3年で辞める」 面接時の宣言通り退社して独立
古川:リクルート時代には、どのような学びがありましたか?
松本:1からスタートして、一通りの営業ができるようになりました。当時の人脈も、その後に起業した際の財産になりました。それから、組織の在り方も学びました。リクルートはバックオフィスを大事にする企業でした。営業部が目標の売上を達成すると、事務の方々を食事に誘って感謝を伝えて喜びを分かち合いました。
古川:松本さんはリクルートを3年で退社して起業されています。どのような事業を始めたのでしょうか?
松本:リクルートには面接の時に3年で辞めるつもりと伝えていました。リクルート自体も5年、10年で人を入れ替える仕組みだったので、私には合っていました。退社したのは会社を立ち上げるためです。リクルートで働いていた頃に知り合った方から、フットサルイベントの事業譲渡を受けました。
古川:フットサル事業で順調に業績を伸ばしていきましたか?
松本:経営に関する知識や経験が不足していて、上手くいきませんでした。赤字になったイベントも多かったですね。今振り返ると、どれくらい利益を乗せれば会社が回るのか、経営で最も大切なことを把握できていませんでした。キャッシュが底をつきそうになり、会社を畳んでサラリーマンに戻ろうと思いました。
愛情と厳しさ詰まった小切手 防衛大の先輩からの支援
古川:会社の存続が難しくなる中、なぜ事業継続を選んだのですか?
松本:防衛大の2期先輩に、社会人になってからも色々と相談に乗ってもらっている先輩がいます。その先輩に会社を畳む考えを伝えたら、「これで事業を継続しろ」と200万円分の小切手で支援してくれました。その資金のおかげで危機を乗り切れました。そのお金は優しさや愛情はもちろん、「あきらめるな」という厳しさも含まれていたと思います。お世話になっている先輩からサポートを受けて使命感や責任感を強く持ちました。
古川:その200万円をどのような事業に活用しましたか?
松本:フットサル事業を続けながら、ホームページ制作を始めました。リクルート時代から親交のあった不動産会社にホームページのサンプルを見せたら反応が良く、何社か依頼を受けました。その頃は、自社ホームページを開設している不動産会社はほとんどありませんでした。ただ、必要性を感じている企業が多く、事業の柱になる手応えを得ました。
経営者向きのタイプは? 防衛大や自衛隊出身者に親和性
古川:ホームページ制作は未経験の分野ですが、なぜ上手くいったと考えていますか?
松本:リクルートでは住宅情報誌に掲載する広告の営業だけではなく、その広告のレイアウトや文言作成についても携わっていました。これは、ホームページ制作も同じだと気付きました。情報誌の広告とホームページで手段は違いますが、商品やサービスをPRする目的は変わりませんから。その経験があったので、ホームページ制作でもお客さまに的確な提案ができた部分はあったと思います。最初は知り合いの企業から始まり、紹介でお客さまが増えていきました。
古川:防衛大や自衛隊出身で、松本さんと同様に経営者となった人は少なくありません。どのようなタイプが経営者に向いていると思いますか?
松本:経営者のタイプは様々です。私はキラキラしたベンチャーの社長ではありません。イメージは、お客さんの顔や家族構成を把握して進学や結婚などのタイミングで営業する「商店街の電気屋さん」です。私のような経営者に向いているのは、コツコツ続けるのが好きなタイプだと思っています。個人的な仮説ですが、数ある大学や職業がある中で防衛大や自衛隊を選ぶ人は変わった考え方をするタイプが多いです。経営者を目指す人も少数派なので、親和性が高いのかもしれません。
自衛隊との違いを受け入れる 民間で成功するカギ
古川:経営者目線で、どんな人材を採用したいと感じますか?
松本:嘘をつかない人です。これは納期を守らない、相手の信頼を裏切るといった嘘も含みます。誠実にお客さまや仕事と向き合える人と一緒に働きたいですね。他の企業も誠実な人材を求めているはずです。そういう面では、防衛大や自衛隊の出身者はアドバンテージがあると感じます。さらに、民間企業で活躍するには自衛隊と民間の違いを受け入れることが重要です。自衛隊の良さは当然ありますが、そこに固執しすぎると民間ではフィットしない場面があると思います。また、民間は自衛隊と違って、数字で評価されるところも知っておいた方が良いポイントです。
古川:小学5年生で描いていた経営者の姿に近づいていると感じていますか?
松本:小学校5年生の時に思い浮かべていた社長は社員が何百人もいて、社員に対して夢を語ったり、グイグイ引っ張ったりするイメージでした。その社長像と今の姿は違いますが、自分らしい生き方をして落ち着くべきところに落ち着いた満足感はありますね。
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