転職後の壁を乗り越えるマインド 自衛隊仕込みの「前進」で民間企業でも開花 

自衛隊と民間企業には当然ながら違いがあります。ギャップを実感した時、めげてしまうのか、踏ん張るのか。その違いが、自衛隊出身者が民間で成功できるか否かの分かれ目になるといいます。航空自衛隊に18年間勤務された程内琢磨さんは、自衛隊で培った「前に進む姿勢」を民間でも貫いて成功されています。 

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【プロフィール】 

程内琢磨:航空自衛隊に18年間勤務、警戒管制に従事。36歳の時に実家の事情で自衛隊を退職し重機オペレーターへ転職。土木や建築の現場で2年間の経験を積み、2016年に株式会社スカイ・ジョイントを設立。現在は東京都と愛媛県にオフィスを構える。 

古川勇気:2024年7月にBallista入社。8月からスタートした「Catapult」を担当。防衛大卒業後、入社試験時の適性検査を販売する企業で営業職などを経験。人材獲得や入社後のミスマッチに課題のある会社の内定率向上や離職率低下に貢献した。 

警戒管制にやりがい 東日本大震災の経験は財産 

古川:自衛隊に入られた理由を教えてください。 

程内:子どもの頃からラジコンが好きで、飛行機やヘリコプターを飛ばしていました。中学生の時には、将来的に飛行機の整備か操縦をしたいと思うようになりました。高校生になっても飛行機に携わる仕事に就きたい気持ちは変わらなかったので、航空自衛隊に進もうと決めました。私は体育会系なので、自衛隊は気合いと根性である程度やっていけると考えたことも入隊を決めた理由の一つです。 

古川:航空自衛隊では主にどのような任務にあたっていましたか? 

程内:職種はAC&Wと呼ばれる警戒管制でした。名古屋の術科学校で勉強してから、京都にある経ヶ岬分屯基地に赴任して警戒管制の任務をスタートしました。警戒管制の業務で天気や電波、飛行機のことなど幅広い知識が身に付いて視野が広がりました。特に印象深いのは東日本大震災です。航空作戦の中枢に入り、勤務していた入間基地で救難機や福島原発に行くヘリコプターの管制、航空輸送や米軍との共同など様々な任務にあたりました。この時の経験は財産になっています。 

実家の事情で自衛隊退職 “ただの人”となって資格や免許取得 

古川:程内さんは自衛隊に18年間勤務して、民間企業に転職しています。どのように転職活動を進めましたか? 

程内:12年前に民間企業に移りました。実家の事情で地元に戻らざるを得なくなり、泣く泣く自衛隊を辞めました。土木や建設の現場監督をやっていた同級生に、どんな業種に需要があるのかたずねて、色々な現場で重宝される重機オペレーターを勧められました。必要な資格や免許を取って、移動式クレーン、ユンボ、高所作業車など一通り運転できるようにしました。 

古川:資格や免許の取得は苦労しませんでしたか? 

程内:必要に迫られていたので苦労は感じませんでしたね。私は自衛隊を退職したら、ただの人だと気付きました。民間企業で使えるのは普通自動車免許だけでしたから。民間で働くなら資格や免許を取らないといけないというシンプルな考え方です。 

重機オペレーターに転職 測量に興味を持って起業 

古川:最初に入社した企業では、どのような業務を担当されていましたか? 

程内:重機オペレーターをしていました。建設現場で様々な重機を操って資材の搬出入をしたり、建物を解体したりする仕事です。大きいクレーンに乗る業務は朝と夕方に限られて、その間は仕事がなく時間が空きます。その時間に現場監督の手伝いで経験した測量に興味を持ちました。現場で約2年間経験を積んだ後、測量の会社を立ち上げました。 

古川:民間企業では1からのスタートとなりますが、自衛隊の経験が活きた部分はありましたか? 

程内:警戒管制の試験は必ず学科と実技がセットになっていて、どちらもパスしないと次のステップに進めませんでした。自衛隊はカリキュラムの進め方や人の育て方が上手くできている組織です。学んだものを実技に移す能力や習慣が身に付いていたので、民間企業に転職してからの資格取得が苦にならなかったのだと思います。そういった点は自衛隊での経験を活かせたと思いますね。 

誰も仕事を教えてくれない…民間企業と自衛隊のギャップ痛感 

古川:自衛隊と民間企業には共通点がある一方、ギャップが大きい面もあると思います。民間に適応する苦労はありませんでしたか? 

程内:やはり、民間には自衛隊にはない所作や常識があります。私は自衛隊に18年間所属していたので、民間との差を埋めるまでに半年くらいかかりました。中でもギャップが大きかったのは、「自分で考えて行動する意識」です。自衛隊でも自分で考えるように言われますが、集団で動くためのレールが敷かれています。そして、全員の技術力が平等であることを前提条件にしているので、見放されることは基本的にありません。それに対して、民間は能力が足りていないと、どんどん置いていかれます。私は転職直後、資格がなかったので土木作業員として現場に入りました。何をすれば良いのか分かりませんし、誰も仕事を教えてくれませんでした。仕事を見て覚える職人の世界に初めて触れました。 

古川:程内さんは現在、測量の会社を経営されています。事業内容を教えてください。 

程内:測量は土木や建築工事の際に土地の位置や形状を正しく測る仕事です。先ほど触れた重機オペレーターの仕事の合間に測量を経験して、何もないところに何かをつくるおもしろさを感じました。例えば、山と山の間に土砂崩れをせき止める砂防堰堤をつくるわけです。防災の面で人の役に立てますし、経験や勉強を重ねるほど奥が深くてハマっていきました。ちょうどその頃、今から10年くらい前になりますが、3次元のレーザーやドローンで測量する技術が出始めました。最新の機器や技術を知ることが楽しく、今後も需要があると考え起業を決めました。 

起業1年目は売り上げゼロ 前に進み続けてチャンス到来 

古川:起業となると仕事に必要な道具をそろえたり、未経験の営業をしたりして大変だと思います。怖さや不安はなかったですか? 

程内:なけなしの貯金で道具を買いました。顧客ゼロからのスタートだったので、起業1年目の売り上げは0円に近かったです。ただ、リスクを考えたら置いていかれます。前に進むしか方法はないと思っていました。前だけを見る姿勢は自衛隊で培われた部分も大きいですね。「背中に傷はつくらない」、「倒れる時も前のめり」という意識で、考える暇があったら行動していました。 

古川:1年目は売り上げが立たず、2年目以降はどのように課題を克服されたのですか? 

程内:手当たり次第に営業メールを送っていたところ、ドローンをきっかけに知り合った方から電力関係の仕事をいただきました。それをきっかけに、別の電力関連の企業からも依頼を受けるようになりました。当時、ドローンを使った事業に関するスクールのブームが起きていて、そのスクールに来ている企業に営業して仕事を取れるようにもなりました。1つ1つの仕事を丁寧に重ねていった結果、気付けば全国各地から仕事をいただけるようになりましたね。 

めげるのか、踏ん張るのか 自衛隊出身者が民間企業で成功する肝 

古川:程内さんは自衛隊から離れて最初は会社員として、今は経営者として活躍されています。なぜ、民間で成功できたと考えていますか? 

程内:止まらずに前に進み続けたからだと考えています。資格や免許を取得するために独学で勉強していましたし、独立してからは受けられる仕事を断りませんでした。中には、利益にならない案件や他の人たちが嫌がる手間のかかる案件もありました。下水道や原発の地下から空まで、北海道から沖縄まで、どこへでも行きました。それが信頼につながりました。もし、地元企業からの依頼以外を断っていたら、今の会社はないと思っています。 

古川:民間企業に上手く適応できていない自衛隊出身者に伝えたいことはありますか? 

程内:自衛隊で勤務した期間が長く、地位が高くなるほど、民間に出た時の乖離は大きくなります。その乖離をどれだけ早く埋められるかが民間に適応する肝です。私は転職したばかりの頃、一回り年下の職人から道具を投げられるなど、邪険に扱われました。そこで、めげてしまうのか、踏ん張るのか。成功できるかどうかは、その差だと思っています。失敗したら「すみません、次は気を付けます!」と謝って、仕事ができる人を見ながら知識やスキルを学ぶ。立ち止まらずに努力を続けていれば能力が向上して、周りから認められるようになります。頑張ったら頑張った分だけ評価されて、職場の同僚やお客さんから必要とされる喜びを感じられるはずです。 

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この記事を書いた人

2024年7月にBallista入社。8月からスタートした自衛隊出身者のネクストキャリアをサポートする事業「Catapult(カタパルト)」を担当。防衛大学校卒業後、入社試験時の適性検査を販売する企業で営業職などを経験。人材獲得や入社後のミスマッチに課題のある会社の内定率向上や離職率低下に貢献した。

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