半年間の短い在籍でしたが、防衛大に進んだ選択が人生を決定付ける期間となりました。日本と台湾で企業を経営する吉田皓一さんはサラリーマン時代も経営者となってからも、防衛大での学びが成功のきっかけになっています。防衛大で培った大和魂で、日本の国益につながるビジネスを展開しています。
【プロフィール】
吉田皓一:防衛大を中退後、一般の大学を経て大阪のテレビ局に入社し、約3年間、営業を担当。テレビ局を退職後、2012年に台湾向け訪日メディア「ラーチーゴー!日本」を運営する「株式会社ジーリーメディアグループ」を創設。台湾で登録者33万人のYouTuber兼歌手としても活動中。
古川勇気:2024年7月にBallista入社。8月からスタートした「Catapult」を担当。防衛大卒業後、入社試験時の適性検査を販売する企業で営業職などを経験。人材獲得や入社後のミスマッチに課題のある会社の内定率向上や離職率低下に貢献した。
一流の先生がそろっていたが…半年間で防衛大を中退
古川:防衛大の在籍は半年ほどでしたが、どのような理由で入学しましたか?
吉田:私は国防に特別燃えていたわけでも、第一志望の大学に落ちたわけでもありません。選んだ理由はシンプルで、おもしろそうだったからです。他の大学にはない経験ができると考えました。親からも予備校のチューターからも反対されたのですが、あまのじゃくな面があって、周りに反対されるほど防衛大に行きたい気持ちが強くなりました。
古川:なぜ、1年生の途中で防衛大を中退する決断をしたのでしょうか?
吉田:防衛大は教育カリキュラムが充実していて、色々な分野に一流の先生がいらっしゃいます。他の大学では見られない世界があると想像していました。実際、その通りでした。しかし、勉強する時間がないので、なかなか自分の知識欲や知的好奇心を満たせないギャップがありました。そこは入学前に把握できていなかった私の責任です。それから、与えられた任務を正確に迅速にこなすことが自分は苦手だと気付きました。入学して1か月に満たない段階で「向いていない」と分かり、半年経っても考え方は変わらなかったので、早めに次の道を探そうと決めました。ロスカットですね。
武器の中国語 興味持ったきっかけは防衛大の授業
古川:防衛大を辞めてからは、どんな進路を歩みましたか?
吉田:大学受験の勉強を再び始めて、翌年の春に元々第一志望だった大学に入りました。大学では防衛大時代と違って、時間に余裕がありました。独学で中国語の勉強をして、その語学力が今のビジネスにつながっています。中国語に興味を持つきっかけは防衛大時代にありました。第二外国語で中国語を専攻し、担当の先生が台湾で教育を受けた日本人の方だったので、台湾と中国や日本の歴史や関係性を学びました。今、私は日本と台湾で会社を経営していますが、防衛大で過ごした半年間は人生を決定付けた期間とも言えます。
古川:大学卒業後は、どのような仕事に就きましたか?
吉田:大阪のテレビ局に就職して、営業を担当しました。テレビ局の収入源となっているCM枠を企業に販売する仕事です。業務内容自体は楽しいとは言えませんでした。ただ、どんなことも乗り越えられる体力と精神力が身に付きました。サラリーマンの基礎を教わったことも財産になりました。社会人になって最初の部署が営業で企業からお金をいただく側だったので、勘違いせずに働けたところは良かったと思っています。
防衛大で教わったソフトパワー理論 テレビ局就職の決め手に
古川:大学で磨いた語学力を活かした職種には興味がなかったのですか?
吉田:就職先はテレビ局と総合商社で迷いました。メディア部門で内定をいただいた商社もあったので、商社の方が海外と接点があります。ただ、商社には語学が堪能な人はたくさんいます。そこに自分が分け入っても埋没するのは目に見えていました。一方、テレビ局は報道や制作など現場を希望する人が大半です。私は現場に一切関心がなく、テレビのコンテンツで1円でも多く儲ける、商売にしか興味がありませんでした。テレビ局の営業であれば、自分でもキャラが立てられると考えました。実は、テレビ局を選んだ理由も、防衛大で受けた授業がきっかけでした。
古川:それは、どのような授業でしたか?
吉田:防衛大の授業で教わった大好きな理論があります。安全保障の専門家ジョセフ・ナイが提唱したソフトパワーというもので、大国が軍事力や経済力を競った20世紀と違い、21世紀は共感を呼んだり、憧れを抱かれたりするソフトパワーが重要という考え方です。私は当時、日本で最もソフトパワーを持っている業界はテレビ局だと判断しました。ソフトパワーのある企業で新しい価値を生み出せば、結果的に日本を良くすることにつながると考えて入社しました。防衛大時代に分野をしぼらず知識を吸収してきたことが、一般大生や社会人になって活きていると感じる時がよくあります。
成功の可能性広げる“損切り” サラリーマンから経営者へ
古川:テレビ局を退職してからは起業されています。どういった経緯で経営者になろうと思ったのですか?
吉田:テレビ局に入ってから、これからはデジタルと海外のビジネス展開が重要になるので担当させてほしいと訴え続けました。ところが、組織の論理があるので、規模の大きな企業で私のような一社員の意見を反映してもらうのは難しく、自分がやりたいことを進めるには起業以外の選択肢がありませんでした。経営者になりたかったわけではないんです。テレビ局が現在のようにデジタルや海外を含めたビジネスを当時も進めていたら、私は今もサラリーマンだったと思います。
古川:安定したサラリーマンの立場を捨てて起業することに不安や怖さはなかったですか?
吉田:防衛大を中退した時の判断と共通していますが、私は向いていないと判断したら、すぐに違う道を探します。日本の社会では「根性がない」、「継続性がない」とネガティブに捉えられがちですが、ロスカットが早いと前向きに考えています。起業の準備を進めながらサラリーマンをしていたわけではないので見切り発車でしたが、怖さはなかったですね。
起業当初は失敗の連続 中国から台湾に移ってチャンス到来
古川:創業当初から、順調に業績を伸ばせましたか?
吉田:最初は失敗の連続でした。テレビ局時代にためた貯金を自己資金にして、まずは中国に行きました。中国経済に勢いがあった時期で、中国語を活かしたビジネスが見つかると考えました。中国で仕入れたスマートフォンのケースを日本で販売するなど色々と試みましたが、上手くいきませんでした。社会主義市場経済という矛盾を掲げる中国の実情を知るほど、中国で成功するのは難しいと痛感しました。そこで、台湾に渡りました。当時はFacebookが流行り始めた頃で、中国語で日本の情報を発信していたら、半年間でフォロワーが10万人まで増えました。これはビジネスになると考えて、台湾人向けに日本の観光情報を発信するサイト「ラーチーゴー!日本」を2012年に立ち上げました。
古川:ビジネスをイメージしてFacebookのフォロワーを増やしていったのですか?
吉田:ビジネスにつなげる意識は全くなくて、毎日フォロワーが増えていくことがおもしろくて情報発信を続けました。YouTubeやInstagramがなかった時代でしたし、訪日台湾人が増えてきていたのでタイミングが良かったですね。「ラーチーゴー!日本」ではサイトに掲載する広告を企業に販売したり、企業とのタイアップ記事を掲載したりして収益を上げます。サイトを立ち上げたばかりの段階は知名度がないのでトラフィックが少なく、企業にとって広告掲載のメリットが小さくなります。ところが、私にはFacebookのフォロワーが10万人いたので、記事をアップした時にラーチーゴー!日本のURLをFacebookに貼り付ければ、サイトへの流入を増やせます。その強みを押し出して、台湾からの観光客が見込める大阪の飲食店や土産店に営業しました。
防衛大で学んだ老子の思想 リーダー像の参考に
古川:営業は上手くいきましたか?
吉田:広告という実体のない商品を売るのは少し特殊な面があります。テレビ局で営業していたので、その方法を知っていたのはアドバンテージになりました。そして、何よりも大きかったのはテレビ局時代に築いた人脈です。私はテレビ局で働いていた頃、先輩からのアドバイスもあって、規模の大きくない広告代理店や企業も大切にしていました。その頃の関係性があって、小規模な広告代理店の方々から「吉田さんにはお世話になったから、ラーチーゴーの広告売ってみるよ」と言っていただきました。周りの人たちのおかげで、初年度から赤字にならずに済みました。どんなにIT、AIと言われていても、人と人との向き合い方がビジネスの根底にあると思っています。
古川:会社を立ち上げられて10年以上が経ちました。経営者として心掛けていることはありますか?
吉田:何もしないことですね。会社には出社せず、宴会では一番の盛り上げ役に徹します。私がビジネスで参考にしているのが、防衛大でエッセンスを学んだ中国の古典です。老子の思想で、簡単に言うとリーダーには一流から四流まであるという考え方があります。どこで何をしているのか分からないのが一流の君主で、臣民が頑張って自分たちが国を良くしていると感じている状態が組織は最も機能していると説いています。これは弊社のような社員20~30人規模の企業で有効なマネジメントです。経営者が従業員の心理的安全性を確保して、思い通りに仕事をしてもらう環境をつくることで、会社が成長していくと思っています。大きい組織はルールで縛る必要がありますが、中小企業は企業カルチャーを醸成して、プロ意識を会社の雰囲気としてつくり上げていくことが大事です。成果に対して報酬で応えていけば、やりがいや責任感も強くなります。
防衛大で磨かれた大和魂 国益につながるビジネスと自負
古川:民間企業で成功した吉田さんは、自衛隊出身者が民間企業で力を発揮するためには何が必要だと考えていますか?
吉田:自衛隊だから、民間だからと、自衛隊と民間を二項対立で考えない方が良いと思っています。民間企業の中でも自衛隊より軍隊っぽい働き方のところはたくさんあります。自分は自衛隊出身と思い過ぎると、可能性を狭めてしまいます。今後の民間企業で求められるのは、考え方を一度リセットする姿勢と感じています。AIが急速に進歩して、与えられたことを正確にスピーディーにこなす従来型のエリートの価値が下がると予想されます。そうした業務はAIが得意な分野だからです。価値観の逆回転が始まっているわけです。上手くいっている人の方が今までの考えや経験を捨てるハードルが高くなるため、現状を変えたいと思っている人の方がチャンスは大きいかもしれません。経営者目線で申し上げると、AIが苦手とする感性に優れた人材と一緒に仕事したいですね。一言で表現するなら「ナイスガイ」です。
古川:お話を伺っていると、大和魂を感じます。防衛大で培われた部分があるのでしょうか?
吉田:それは大きいと思います。日の丸に毎日敬礼していましたし、防衛大の教育は国家をすごく身近に感じさせる機会が多かったです。私は半年で辞めてしまいましたが、ビジネスを通じて国家に貢献したい気持ちは非常に強いです。今、私たちが進めている事業の台湾観光は台湾から日本に訪れる方に向けて、日本の良さを紹介しています。台湾人は何度も日本を訪れる方が多いので、地方に行ってくれます。東北や九州は全インバウンド客の半分近くを台湾人が占めるケースもあるくらいです。帰国してからも観光した地域の商品を買ってくれます。国益につながるビジネスをしている自負があります。
最後に
吉田さんのキャリアは、そのすべての経験が現在の成功につながっています。防衛大学校を中退し、営業職を経て、語学やビジネスの経験を積み、最終的には起業家として活躍する道を切り開きました。この過程で重要だったのは、早い段階で損切りする決断力でした。
転職やキャリアの選択に迷うのは当然のことです。しかし、どんな経験も無駄にはなりません。大切なのは、自分の強みや適性を知り、次のステップを考えることです。
あなたのキャリアも、まだまだ広がる可能性に満ちています。 もし、自衛隊での経験を活かしつつ、新しいキャリアに挑戦したいと考えているなら、ぜひ Catapultのキャリアパートナーとの面談 をご活用ください。一人では気づけない選択肢や、あなたに合った仕事を一緒に見つけるお手伝いをします。
あなたの次の一歩を、私たちとともに踏み出しましょう!
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