陸上自衛隊→プロカメラマン→経営者 自衛隊時代の趣味がビジネスに 

自衛隊時代に趣味で始めたカメラが、全国規模のサービスを展開する経営者になるきっかけでした。インターネット上で写真を閲覧して購入できる事業を行う株式会社ハッピースマイルの社長・佐藤堅一さんは中学、高校時代、憧れの自衛官になる準備期間に費やしました。しかし、思い描いた姿とのギャップに悩んで退職。独学で写真の技術を身に付けてフリーカメラマン、さらに経営者へとキャリアアップしました。【全2回の前編】 

目次

【プロフィール】 

佐藤堅一:高校卒業後に陸上自衛隊に入隊し、26歳まで8年間勤務。プロカメラマンを目指して退職し,2008年に独立。2014年に「株式会社ハッピースマイル」として法人化した。インターネット上で写真を閲覧して購入できるサービス「みんなのおもいで.com」を運営している。 

古川勇気:2024年7月にBallista入社。8月からスタートした「Catapult」を担当。防衛大卒業後、入社試験時の適性検査を販売する企業で営業職などを経験。人材獲得や入社後のミスマッチに課題のある会社の内定率向上や離職率低下に貢献した。 

中学生で入隊を決意 中・高校時代は自衛官となるための準備 

古川:自衛隊に入隊したきっかけを教えてください。 

佐藤:小、中学生の頃から自分がサラリーマンになるイメージが湧きませんでした。もちろん、サラリーマンも周りから感謝されますが、もっと直接的に「ありがとう」と言われる仕事に就きたいと漠然と考えていました。その中で、中学生の時に阪神淡路大震災で活躍する自衛隊の姿をテレビで見て、「これだ」と確信しました。「ありがとう」の最上級は命を救うことだろうと感じ、自衛隊に入ることを決めました。 

古川:進路を自衛隊に定めてから、何か準備を進めましたか? 

佐藤:私が抱いていた自衛隊のイメージは、「スーパーマンの集まり」でした。圧倒的な体力や筋力が必要だと思い、中学生から筋力トレーニングを始めました。高校は片道16キロの距離を自転車で毎日通い、体力を強化しました。私は新潟出身なので冬は雪が降ります。それでも、「災害派遣に行った時は自分1人で2人を担いで救助できるくらいにならないといけない」と被災地で活躍する未来を描いて自分を奮い立たせました。自衛官になる目標は変わらなかったので、高校卒業後に陸上自衛隊に入りました。 

教育期間中に中隊長賞 希望通りに中央地理隊で勤務 

古川:陸上自衛隊では主にどのような任務を担当されましたか? 

佐藤:私は自衛隊が好きで入隊したので、訓練や自衛隊内のテストが楽しくて仕方なかったですね。入隊前から身体を鍛えていたこともあって、教育期間中に中隊長賞を受賞しました。当時は成績上位者から駐屯地の希望を出せたので東京都立川市にある中央地理隊を選び、有事を想定した特殊車両の通行用地図や災害派遣用の地図を作成する仕事をしていました。自衛隊では珍しくパソコンと向き合う時間が長い業務ですが、細かい作業は好きだったので自分に合っていました。 

古川:自衛隊を志した時にイメージしていた被災地で活躍する自衛隊の姿と実際の業務にギャップを感じることはありませんでしたか? 

佐藤:実は、中央地理隊に所属していた時、中隊長に「どんな状況になったら、私は災害派遣に行くのでしょうか?」と質問しました。中隊長からは「高尾山に飛行機が墜落した時か多摩川が氾濫した時くらい」と返ってきました。その回答を聞き、「災害派遣に行く場面は訪れないかもしれない」と感じました。自衛隊には管轄があると知ったわけです。同時に、ある葛藤を抱きました。被災地で救助活動するために自衛隊に入ったものの、災害が起きなければ目標は達成できません。人の役に立ちたいはずなのに、結果的に不幸を待っている状態になってしまっていると気付きました。 

災害派遣の熱望に“不幸を待っている”葛藤 

古川:葛藤するようになって、自衛隊を離れる選択肢を考え始めたのでしょうか? 

佐藤:私は8年間、陸上自衛隊に在籍しました。災害派遣の葛藤の他にも、「自分の希望とは違うかも」と感じる場面がありました。例えば、自衛隊は組織の特性や規模の大きさから、私のような若い自衛官1人の意見が通るはずもありません。日々の業務で改善点を感じても、反映できないもどかしさがありました。それなら、自分の考え方や仮説がどこまで通用するのか、民間企業で試してみようと思うようになりました。 

古川:自衛隊を辞めると決めて、どのように就職活動を進めましたか? 

佐藤:私の場合、後任が決まり次第、自衛隊を辞める形でした。企業に勤務開始日を伝えられないため、自衛隊にいながら転職活動することはできません。自衛隊を離れてから、最初はデータ入力のアルバイトを始めました。自衛隊時代からマイクロソフトのオフィス系のソフトが好きでMOS検定を取っていたので、そのスキルを活かせると思いました。アルバイトと並行して、カメラマンになる方法も模索しました。 

趣味のデジカメで発見 求めていた「ありがとう」 

古川:なぜ、カメラマンになろうと考えたのですか? 

佐藤:自衛隊にいた時、日本で初めてデジカメが販売されました。フィルムのカメラと違って、気に入った写真だけを好きな時にプリントできるデジカメに衝撃を受けました。元々写真に興味はありませんでしたが、デジカメの効率の良さに惹かれてハマっていきましたね。一眼レフを買って駐屯地に咲く花を撮るところから始めて、趣味の延長で自衛隊の行事で躍動する隊員の姿を撮影するようになりました。撮った写真を隊員に渡すと、とても喜んでもらえました。その時、これこそが自分の求めている「ありがとう」だと思いました。写真は主体的に相手を喜ばせることができます。自衛隊を辞めると決めた時、将来的に写真に関わる仕事ができたら良いなと考えていました。 

古川:カメラマンとして仕事を得るために、どんな行動を起こしましたか? 

佐藤:カメラマンは必須資格がないため、名乗れば誰でもなれます。ただ、写真を販売して生計を立てられるかは別問題です。私は撮影の実績がなかったので、フリーカメラマン向けの写真事務所に登録しました。撮影の経験を積むために、報酬は少なくても構わないので機会がほしいと事務所には伝えました。撮影の実績が増えてくると、事務所を通さずに自分で営業しやすくなるので、収入を増やすチャンスが広がります。 

比較の基準は自衛隊の訓練 初めての営業も「何とかなる」 

古川:営業の経験がない中で、仕事を増やせましたか? 

佐藤:何とかなりました(笑)。苦しい状況に立たされた時、比較対象になるのが自衛隊時代の厳しい訓練でした。あの訓練に比べれば苦しいことはないと思えましたね。それから、営業経験はなくても、相手が何を望んでいるのかを考えると、上手くいくようになりました。 

古川:例えば、どのようなことを考えましたか? 

佐藤:クライアント側の立場になって、どんなカメラマンに2回目も撮影依頼したいのかを想像したところ、結局は機材が重要という結論に至りました。アマチュアとプロでは使用するカメラの金額が何倍も違います。プロの機材をそろえる先行投資をすれば仕事は増えると考えました。 

独学で写真の道へ 収入アップにつながる先行投資 

古川:まだ収益が少ない時期に高額な機材を購入することに抵抗はありませんでしたか? 

佐藤:高額な機材を持っている方がクライアントに本気度が伝わります。撮影技術がないと機材を使いこなせないというイメージが強いかもしれませんが、クライアントの満足度を高めるには機材に頼る部分も大きいのが現実です。例えば、暗い場所で明るく撮らないといけない時、安価なカメラで感度を上げて撮影するとノイズが出て写真の質が下がってしまいます。一方、性能の高いカメラは暗いところで撮ったとは思えないくらいクリアに写ります。クオリティの高い写真が次の仕事につながるわけです。仕事に困っているカメラマンの大半は収入が増えたら機材を整えようとします。先行投資の考え方に欠けています。クライアントの評価を上げる方法を理解していれば、先に機材を整える方が正解だと思います。 

古川:次回のインタビューでは、佐藤さんがフリーカメラマンから経営者になった経緯や、紆余曲折を経て成功させた全国展開のサービスについて詳しく伺いたいと思います。【後編に続く】 

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この記事を書いた人

2024年7月にBallista入社。8月からスタートした自衛隊出身者のネクストキャリアをサポートする事業「Catapult(カタパルト)」を担当。防衛大学校卒業後、入社試験時の適性検査を販売する企業で営業職などを経験。人材獲得や入社後のミスマッチに課題のある会社の内定率向上や離職率低下に貢献した。

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