自衛隊退職後はアルバイトからスタートして憧れの経営者に 周囲の信頼を勝ち取るマインド

自衛隊を退職後、スタートはアルバイトでした。転職活動が上手くいかない時期もありましたが、今は理想に描いていた経営者となりました。元航空自衛隊の堀賢太郎さんは趣味のポーカーをきっかけに、人脈や事業を広げています。民間企業で成功できた理由は、どんな立場や環境でも貫いた自衛隊仕込みの「がむしゃらさ」でした。

目次

【プロフィール】

堀賢太郎:海上自衛隊の航空学生出身。自衛隊に約6年在籍して戦術航空士の役割を担う。自衛隊退職後はアルバイトを経て、現在はポーカーバーやシーシャバーの経営に携わっている。

古川勇気:2024年7月にBallista入社。8月からスタートした「Catapult」を担当。防衛大卒業後、入社試験時の適性検査を販売する企業で営業職などを経験。人材獲得や入社後のミスマッチに課題のある会社の内定率向上や離職率低下に貢献した。

経営者と知り合って抱いた憧れ「いつか自分も」

古川:自衛隊に入隊した経緯や理由を教えてください。

堀:父親が航空自衛隊で戦闘機のパイロットをしていたので、子どもの頃から自衛隊や飛行機に親しみがありました。大学受験の勉強が手に付かなかったこともあり、父親から勧められた自衛隊を受けて航空学生になりました。自衛隊には約6年在籍し、主に戦術航空士の役割を担いました。どういうルートで飛行するのか、パイロットをナビゲートする仕事です。その他には、ナビゲーター&コミュニケーターというポジションで日本の排他的経済水域に近づいた他国の船舶にアナウンスしたり、通信司令部に報告する資料をつくったりする業務も担当しました。

古川:どのようなきっかけで、自衛隊から民間企業への転職を考えたのでしょうか?

堀:入隊して3年目に千葉県の下総航空基地へ赴任しました。週末は東京に出て、専門店でポーカーを楽しんでいました。ポーカーを通じて知り合った方は経営者が多く、まだ若かった私は「何で社長をしている人たちは、こんなにも楽しそうに生きているんだろう」と感じました。お金も時間も自由があるように見えて、いつか自分も経営者になりたいと思うようになりました。

自衛隊を辞めた後のプランなし 退職金を持って海外へ

古川:転職を考えるようになってから実際に自衛隊を離れるまで3年ほどの期間があられますが、その間は、どのように過ごしていましたか?

堀:自衛隊で4年目に入った時、幹部になってから辞めると周りに迷惑をかけることが増えてしまうと考え、その前に自衛隊を離れようと決めました。入隊して6年目の幹部学校を卒業する2週間前に辞めました。ゴールを決めていたので、それまでの期間は手を抜かず一生懸命に勤務しました。

古川:自衛隊を辞めてからの計画は描いていましたか?

堀:実は何のプランもありませんでした。海外に行きたい気持ちが強かったので、自衛隊の退職金を持ってフィリピンへ行きました。フィリピンで過ごした期間は2週間くらいです。ポーカーで負けて退職金をほぼ全て失い、日本に帰国しました。当時26歳で、生活するためには仕事を探す必要がありました。

ポーカーバーでアルバイト 2か月で店長に

古川:帰国してから、すぐに仕事は見つかりましたか?

堀:フィリピンへ行く前にポーカーで知り合った人から、新宿でポーカーバーをオープンするので帰国したら手伝ってほしいと声を掛けていただいていたので、その店でアルバイトすることにしました。当時、日本ではポーカーが右肩上がりの市場でした。特にすることもなくて時間があったので週6日勤務し、2か月後には店長を任されました。そこから1年半くらい経ったタイミングで、さらに規模の大きな店舗がオープンして2店舗兼任の店長を務めました。

古川:店長は責任が伴う立場だと思います。アルバイトではなく、社員として働く希望はなかったのですか?

堀:当時は雇用形態の違いが分からず、アルバイトで店長をしていました。時給が良かったので特に不満はなかったですね。ただ、友人からは「都合良く働かされているんじゃない?」と指摘され、自分の将来を真剣に考えるようになりました。その頃に知人から海外で事業を始める誘いを受けたこともあり、アルバイトを辞めました。ですが、ビザの関係で渡航できなくなり、転職活動を始めることになりました。転職エージェントに登録したものの上手くいかず、派遣や日雇いのアルバイトをして生活していました。

時流にも乗ってキャリアアップ 成功の秘訣は「がむしゃらさ」

古川:なかなか安定した仕事に就けない時期があったんですね。現在の経営者となるまでに、どんな転機が訪れたのですか?

堀:派遣やアルバイトで生活していた30歳の頃に、ポーカーをきっかけに親しくなった仲間から、ポーカーバーを始めようと声をかけられました。私は経験があったので事業に加わることにしました。この店が、今は複数の店舗を展開しているアミューズメントポーカーの1号店です。お店は繁盛して、2年くらいで都内に4店舗まで拡大しました。ポーカーバーを基盤にして、今度は別の仲間に誘われてシーシャバーを出しました。こちらも順調に売上が伸びて、約2年で10店舗まで増やせました。その後、現在のフランチャイズの形にして運営しています。ポーカーもシーシャも市場が拡大するタイミングで始められた幸運に恵まれましたね。

古川:時流をつかんで事業を拡大できたわけですね。自衛隊を辞めてから苦労した時期がありながらも、結果的に目標としていた経営者となって成功できた理由はどこにあると考えていますか?

堀:どんな立場や環境であっても、求められる以上の成果を出そうとする姿勢が今につながっていると思います。アルバイトでもがむしゃらに働いているうちに、責任のある仕事を任せてもらえます。そして、「この人と一緒に仕事をしたい」と思ってもらえるようになり、人脈も広がっていきます。自衛隊で培った精神力と誠実さが民間企業でも確実に活きています。

やり直しは可能「やりたいと思ったら挑戦」

古川:民間企業で活躍したいと考えている自衛隊出身者に伝えたいことはありますか?

堀:私は自衛隊を辞めた時、将来について具体的なビジョンを描いていませんでした。ただ、どんな人生を送りたいのか、どんな人間になりたいのかを漠然と思い描いていました。やってみたいと思ったら挑戦することが大事です。もし、イメージと違ったり、上手くいかなかったりした場合は別の職場や職種を選べます。何かを得るにはリスクが伴います。とにかくチャレンジし続けることに尽きると考えています。

最後に

堀さんのストーリーから学べることは、自衛隊で培った精神力や誠実さが、どのような環境でも活きるということです。また、挑戦し続ける姿勢やがむしゃらに取り組む姿が、信頼を得て新たなチャンスをつかむ原動力となることを教えてくださいました。

未来への具体的なビジョンがなくても、「やりたい」という気持ちを大切に行動すれば、新たな可能性を切り拓けるかもしれません。

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この記事を書いた人

2024年7月にBallista入社。8月からスタートした自衛隊出身者のネクストキャリアをサポートする事業「Catapult(カタパルト)」を担当。防衛大学校卒業後、入社試験時の適性検査を販売する企業で営業職などを経験。人材獲得や入社後のミスマッチに課題のある会社の内定率向上や離職率低下に貢献した。

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